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60年代のマイルス・クインテット時代のトニー・ウィリアムス(1945年生まれ~1997年没)は「パルス」的とでも言おうか、その場の状況判断に応じて非常に切れ込みの鋭いドラミングを見せていて、しかもそのフレーズは誰の人真似でもない独自性を持っていた。とても17歳でデビューしたとは思えないような天才的なドラミングは、知的な部分と野性的な部分が絶妙にマッチしていてとても素晴らしかったね。マイルスの時代を先取りした自由度の高い音楽性とも相まって、とにかくこの時代のトニーは滅茶苦茶カッコよかった。寛大なマイルスのおかげもあって、ドラムソロなんかもフリーテンポにして叩き放題だったけど、その延長として自身のリーダー作ではフリージャズ寄りの音楽までやっていて、きっとトニーは基本的に拘束されることのない自由なドラミングが好きだったのだろう。その感性の鋭さは尋常ではなくて、実は私が最も好きなトニーはこの時代なのである。
その頃のトニーのドラミングの最大の特徴はシンバル・レガートにある。エルビン頁でも書いたけど、「チーン・チッキ、チーン・チッキ」という4ビートの定番ビートを、「チッキ・チーン」とかと左手のスネアとの兼ね合い等で自由自在に変化させるのだが、ジャズドラムをやっている人は分かると思うけど、「チーン・チッキ、チーン・チッキ」と生真面目に刻んでいるよりも、実はこちらの方が叩きやすいんだよね。逆に言うと定番ビートを正確に刻みながら、自在にスネア等のオカズを入れることの方がはるかに難しい。トニーの場合はそんな難しさを取っ払って、シンバル・レガートを合理的なものに変えてしまったんだね。だからこそシンバル・レガートをあまり意識することなく、左手(スネア)や右足(バスドラ)や左足(ハイハット)を感性の赴くままに、どこにでも好きな部分にぶち込むことができたわけなのだが、逆にシンバルに注意を払っていないせいか、アップテンポの曲なんかは次第にテンポが速くなってしまい、曲の頭と最後では1,5倍ぐらいもスピードが違っているなんてこともあったりして、テンポが走るドラマーの最たるものだった。ただし後年になってからは、ハイハットを4拍刻みにするようにしたおかげで、その欠点はだいぶ解消されるようになったけどね。
70年代に入ってから、というかマイルスのバンドを脱退した直後の「The Tony Williams Lifetime/Emergency!(69年、別頁あり)」あたりからすでに兆候はあったのだが、ロックからの影響を大きく受けたトニーはドラミングのスタイルを大きく変えている。ドラムセットもロック用のバカでかいサイズのものに変更して、スタン・クラークのセカンド「Stanley Clarke/Stanley Clarke(74年、別頁あり)」のトニーはまるで別人と化していたね。以降の彼はクロスオーバー的な音楽をやっていようが、グレート・ジャズ・トリオやVSOPのようなジャズ回帰もの、あるいはそれ以降の4ビートをやっている自己のバンドであろうがその路線を貫き通しているのだが、この70年代以降のトニーの特徴は、フィルインやドラムソロのフレーズをある程度パターン化してしまったことにあるだろう。といってもバリエーションが何パターンもあって、そのどれもが高度なフレーズではあるけどね。とにかく16ビートであっても4ビートであっても、やっている音楽に係わりなくのべつ幕なしにドカドカとやるものだから、最初こそはカッコいいと思って私なんかもよくコピーをしていたけれど、そのうちにマンネリに感じるようになってしまって、一時期なんかは聴くのも嫌になってしまったことがある。パルシブな部分も消えうせちゃって、なんか天才トニーが凡人に成り下がってしまったように感じたものだ。でもそんなドラミングも決して嫌いではなかったけどね。
なにはともあれトニー・ウィリアムスはエルビンと同様に、わたし的にはドラムの神様と崇めているほどに偉大なドラマーなのである。